局でひとり筆をとりて

普段は灰も被れないオタクよりの高校生が、硝子の靴ではなくキーボードと美しい文化を以て時には古典の世界を賞賛し、時には世間をぶった斬ります

清らかに徒然に 〜季雲最大の危機(嘘)〜

最近かなり悩ましい事態に私は陥っています。
どうしてなのか自分でもよくわからないのですが…

現代文が読めない。

塾のテキストに載っている文章が最後まで読み切れない(強制されれば読めないこともないけど辛い)。あんなに教科書を先取りして読む人間だったのに…

本屋さんでもそうです。
前は新書を見て「面白そうだなー」とワクワクしつつお店を回っていたのに、最近はほぼスルーです。
キャッチコピーに全く魅力を感じないし、ちょっと手に取って後ろのあらすじを見て「あーこういう話なのね」で済んでしまう。

この前本屋さんに入って辛うじて購入したのは現代作家さんでも平安怪奇譚を取り扱った小説とみだれ髪でした。今は聖書(小説版)を読んでいます。
(何故か漫画は読めるし普通に買う)

古書店で買いだめした50円均一の心理学書や評論を乱読することもありますが、やはり以前の書籍の方が読みやすい気がします。

…受験の影響でしょうか?

何か勉強しなきゃと思いつつ英文や現文の精選集を広げて、「胃が痛いなあ…」と思いつつただ文章の前に座っていただけの直前期は自分でもどうして勉強しているのかわからず、「そもそも何で大学に行くんだっけ?」とあれこれ日が暮れるまで考えていたりしました。
正直浪人を決めた今でも自分が勉強する理由はよくわかっていません。東大を出ても「頭が良い」だけでは就職もままならないご時世、私は将来何をするべきなのか、何がしたいのか。

そんなことを思う内は、文章を読むことも苦痛でしかないのかもしれません。「文章を読む=勉強」なんてどこの刷り込みだよ…

母に言っても「問題は読めるようにしてね」としか返答してもらえませんでした。そりゃあ理系に文系脳を理解してもらうのが間違いでしたよ失礼しました(半ギレ)。

とにかく早く塾の授業が始まることを望みにするしかないようです。
息をすることと勉強することを同意義にすれば、文を読むことも造作なくなる筈ですから。
ただ、その時に文が私にとって以前と違う存在になっていないか。
それだけが不安です。